面白い映画には愛を捧げ
そうでない映画には鉄槌を下す![パンチ!]()
たいむぽっかんの
ぶっちゃけCINE TALK!!!
●今日のぶっちゃけなシネ言
「IMAXで一番燃えるところは始まりのカウントダウンだったりする」
シネトーク185
『マン・オブ・スティール』
(IMAX3D)
MAN OF STEEL
監督:ザック・スナイダー 製作・原案:クリストファー・ノーラン 原案・脚本:デヴィッド・S・ゴイヤー 音楽:ハンス・ジマー
出演:ヘンリー・カヴィル/エイミー・アダムス/マイケル・シャノン/ケヴィン・コスナー/ダイアン・レイン/ローレンス・フィッシュバーン/アンチュ・トラウェ/アイェレット・ゾラー/クリストファー・メローニ/ラッセル・クロウ
2013年米/ワーナー/143分/シネマスコープサイズ/3D/ワーナー配給(2013年8月30日公開)
●作品解説
DCコミックスが誇る最強のスーパー・ヒーロー“スーパーマン”を『ダークナイト』のクリストファー・ノーラン製作・原案、『300 <スリーハンドレッド>』『ウォッチメン』のザック・スナイダー監督で装いも新たに再起動させたアクション大作。スーパーマン役は『インモータルズ -神々の戦い-』のヘンリー・カヴィル。
クリプトン星で生まれたその赤ん坊は、滅亡を悟った父に最後の希望を託され、地球へと送られた。地球にたどり着いた彼は、ジョナサンとマーサの夫婦に拾われ、クラーク・ケントとして育てられる。次第に超人的な能力に目覚めていく少年時代、養父からはその能力を使うことを固く禁じられていた。周囲との違いに孤独と葛藤を抱えながら青年へと成長したクラークは、やがて自分探しの旅に出て、自らの使命を確信する。そんなある日、クリプトン星の生き残り、ゾッド将軍がクラークの存在に気づき、彼を追って地球へと襲来する。(all cinemaより)
※ネタバレしてます! ご注意を!
スーパーマン映画にしてはあまりに多くの血が流れすぎ
リチャード・ドナー版のスピリットを受け継いだブライアン・シンガー監督による『スーパーマン リターンズ』は、公開時、品川にあった本物IMAXの巨大スクリーン(今のデジタルIMAXはちょっと小さいサイズ
なのよ)で観たときの感動と衝撃が忘れられないということもあるんだけど、僕は『リターンズ』支持派でして、どんどんダメ映画になっていったクリストファー・リーブ版のシリーズを見事に“再生”したシンガー監督の功績は結構でかいと思ってます。
ジョン・ウィリアムスのテーマ曲を現代バージョンにリプライズしたジョン・オットマンのスコアもカッコイイし、マーロン・ブランドをちゃんとCGで“再現”してくれたし。なにより、クリプトナイト島で死にかけだったスーパーマンが復活を遂げるカタルシスは最高だし、スーパーマンJrの登場にも驚かされたし。スーパーマンのカムバックに民衆が拍手喝采を贈るシーンはトリハダもんでした。そりゃ欠点もありますよ。スーパーマンが5年ぶりに帰ってきたと同時にクラーク・ケントも全く同じタイミングで職場復帰したのに、正体に気づかないロイスが鈍感すぎとか、ちょっとトボけたキャラが魅力だったレックス・ルーサーが冷酷すぎとか、スーパーマンがストーカーしてるなんてありえないとか
、あと画面が全体的に暗いとかね。それでも“リブート”でありながら“続編”としてもきちんと機能した傑作だと思います。
しかし、興行が振るわなかったおかげで『リターンズ』の続編企画はなくなり、C・リーブ版シリーズを引き継がない『スーパーマン』映画を新たにリブートすると知ったときは、結構ショックでして・・・。![ショック!]()
「クリストファー・ノーラン製作&原案だからそれほどヒドイものにはならないだろう」という一定の安心&期待感の一方で、「ノーランのスーパーマンってずっと悩んでばっかりのウジウジ男なってそうな気がする」という決して小さくない不安もあったんです・・・・。結論として、期待よりも不安が勝ってしまったという残念な仕上がりになってしまいました。
作り手は相当苦慮したと思うんです。今のこの時代にスーパーマンを蘇らせることはどういうことか。だって実際、目の前に赤いパンツを履いた男が現れて、ピンチから救ってくれたとしても感謝する前に「ちょ・・・・おま・・・・何してんの?
」って身構えちゃうはずなんですよ。問答無用に彼を受け入れずらいだろうし、どうしても警戒心が先に立っちゃう。自分とは異なる人種、ましてや異星人となると、誰もがそう簡単にウェルカムにはならないだろうし、ひどい時は排除しようとする。
クラークの少年時代はまさにそういう“異端視される苦悩”と“人間としてまたは超人として生きることへのジレンマ”を描いていて、ノーラン映画っぽいテーマ性に「フムフム」と初めは感心してたんです・・・。
これまでの「みんなのスーパーマン映画」からの決別という、あえてそういう演出から脱却しているのは分かるし、リアル方向にシフトさせた狙いは別にいいとは思う。でもね、クラークが劇中でずっーーーとそのジレンマに苦悩しているので、観てる方はだんだん“辛気臭い男”に見えてきちゃうんですヨ。結局、彼は人類の敵なのか味方なのかという決着が出ないまま話が終わってしまうので、スーパーマン映画になくてはならない「スカッとする感」「爽快感」が味わえないのはどーなのよ!?と思うワケです。「そういうスーパーマン映画があってもいい」という支持派の人もいますが、僕はコレでは全然ダメだと思います。![むっ]()
地球人から迫害、異端視されるスーパーマン悩む → クリプトン人襲来で地球は未曾有の危機に → クリプトン人と対決、勝利! → 群衆がスーパーマンを歓迎する → 「僕が地球を守らなくっちゃ!」とスーパーマン、次回に乞うご期待! という感じでシメてくれないと、正直、楽しめませんがな。
『ダークナイト』以降「ヒーローは苦悩しているほうが共感を呼びやすい」というどうも間違った風潮がありますが、それは『ダークナイト』や『スパイダーマン』には当てはまるかもしれないけど、『アイアンマン』や『スーパーマン』には似つかわしくないテーマだと思うんですよ。いや、別に描いてもいいんだけど、『スパイダーマン2』のように最後はその問題をちゃんと克服、回収する着地にしてくれないと。
クライマックスのスーパーマン VS ゾッド将軍一味の超絶すぎるバトルはもう圧倒されすぎて「もうなにがなんやら~
」という感じ。極厚ステーキと天丼と親子丼と牛丼を食ったあとにスキヤキも無理やり食わされた感じで、結局自分は一体何を食っているのかよく分からないというね。盛り込みすぎて何がスゴかったのかよく思い出せない『トランスフォーマー』シリーズみたいな。![ショック!]()
アスファルトがめくれ上がったり、ガラスの破片が飛び散ったり、建物が丸ごとブッ飛んだりと、スナイダー監督十八番のスローを封印したハイスピードな破壊描写は ![グッド!]()
![グッド!]()
でしたけど、基本、戦闘スタイルは殴り合いか蹴飛ばし合いばっかりなので、飽きてくるのも早い。
「破壊は映画の醍醐味」ってよく言うけど、緩急の付いてないアクションをあんだけ長くやられると、どんだけハデにしても、どんなにスゴくても、結局あんまり印象に残らないんですヨ。ここにアラレちゃんがいてもおかしくねーなって。![べーっだ!]()
スーパーマンとクリプトン人がガチでバトったら、街なんてオモチャみたいに簡単に崩れていくリアル・シミュレートしたアクション演出は否定しませんけど、彼らのハタ迷惑な戦いで数万人は確実に死んでいるであろうあんな凄惨な破壊シーンを見せられてもさあ・・・・・スカッとできないんだけどっ!
もうね、スーパーマンとクリプトン人らが極悪テロ集団に見えてきちゃって・・・・。『アベンジャーズ』の壮絶なNY戦だってあそこまで凄惨じゃなかったし、ヒーロー映画としてのカタルシスもちゃんとあった。
で、これもスーパーマン映画に必須な「群衆の拍手喝采」「市民の救出」シーンがないのも論外です。ま、あんだけビルが崩れてきたら「それどころじゃねーよ!」になると思うけど、「どんな危機的状況でもスーパーマンの力なら回避できる」と信じこませる“マジック”がこの映画には全く効いていない。
『スーパーマン リターンズ』の素晴らしいところって、街がどんなにドエライことになってもスーパーマンが飛んできて危機を脱し、誰1人死者を出さなかったところで、だから観てるほうも拍手喝采を送りたくなるんです。スーパーマンが来ると助かる!という安心感があった『スーパーマン』に対して、『マン・オブ・スティール』ではスーパーマンが現れると大量の死者が出るというね。もうSFスリラーなんですヨ、この映画。![ガーン]()
スーパーマンが瓦礫の山と化した街のことを気にする素振りが全くなかったので、「え? オメー、それでいいの?」感もハンパない。あのさー、ロイスとノンキにチューしてる場合じゃないよ、兄ちゃん!
『スーパーマンⅡ』でゾッドが破壊したホワイトハウスを修復したり、『スーパーマンⅢ』で自分が壊したタンカーを直したりする、ああいう場面をちょっとでも入れておけば、もうちょっと好感度上がったと思うんだけどねー。とっ散らかしたまま後片付けをしないこんなスーパーマンだったら、地球を逆回転して何事もなかった時間に巻き戻すクリストファー・リーブのスーパーマンのほうがよっぽどスーパーマンらしいですヨ。
結局、一番の極悪人は、息子を地球に送り込んだジョー=エルで、「息子は彼ら(地球人)の救世主となるだろう」と言ってたのに、息子さんは破壊王になってしまっているもんだからもう笑うしかない。オメーが地球に息子を送ってなければ、こんな大勢の犠牲者を出さずに済んだんですけど?というツッコミは、観た人全員がしてると思います。![にひひ]()
あんだけ大勢の被害者に対してはさほど気にしてないスーパーマンがロイスだけはちゃっかりと助けるのね、とか、ゾッドのヒートビジョンで一般人が殺されそうになって「やめろーー!」と叫んでも、「いやいやあんだけ大勢死なせておいて何言ってんの、オメー」と興ざめしちゃって、全然グッとこないんですヨ。![むっ]()
この場面、父親に言われたように「クリプトン人と地球人の架け橋となるべき存在」に結局なれず、志は違えど同胞であるゾッドを自らが殺めたカル=エルの悲痛な叫びであることは分かりますよ。しかし君たち“エイリアン”のその勝手な志のせいで、もっと言えば思い上がりのせいで、どれだけの多くの人間の血が流れたんだよ!と考えたら、やっぱりあのシーンは鼻白むわけですよ。
「スーパーマン」を命名するシーンがなかったのも残念で、ロイスが「スーパー・・・・」と言いかけてジャマが入るあのもったいぶった演出は良かったんだけど、その後初めて「スーパーマン」と口にする大役がどーでもいい下っ端の兵士だったのがマジガッカリ。
「なんかみんなスーパーマンって呼んでるみたいっすよ、へへっ」じゃねーよ! ここはロイスに命名させるとか、そういう気の利いた演出ぐらいしてよ。で、最後はみんな一緒に「イエ~イ! スーパーマン!」でシメるべきでしょ。
出演陣はいずれもナイスキャスティング。
『スーパーマン リターンズ』で一度落ちたスーパーマン役をついにゲットしたヘンリー・カヴィルの筋骨隆々なボディは男から見ても「ウホッ
」もので、冒頭で上半身裸になった時のオッパイの大きさにビックラこいちゃいました。アメコミ映画には実は興味がなかったというジョー=エル役のラッセル・クロウの曲げないオヤジっぷりもサマになってたし。
地球での父親=ケビン・コスナーは「農場を営む男」という役だけで既に暖かい気持ちになれるし、優しいお父さん感もビンビン。最期の「来るな」を目で合図する演技は最高です。ダイアン・レインの息子を思う母親の姿にもグッときましたヨ。
ケント夫妻の愛情と教えによりクラークは実直な青年へと成長していくわけですが、もし赤ちゃんのカル=エルを極悪人が拾ってたらどうなってたんだろう?とか思ったり。
超人的な力を持っているとちょっと悪さをしようとか思ったりしませんかね、フツー。『スーパーマン』1作目で青年クラークが超速スピードで先回りして、いけ好かないクラスメイトに自慢するあの場面が好きでして、今作でもいじめっ子をデコピンして30mぐらい飛ばしちゃうとか、そういうクスッとできるコミカルな場面があっても良かった。絡んできた酔っ払い運ちゃんのトラックをメチャクチャにする場面は、クラークの人間臭さがあってヨカッタと思うけど。
ロイス・レイン役のエイミー・アダムスも悪くはないんだけど、ピンチに陥りすぎ。ロイスの危機に駆けつけるのはスーパーマンのお約束とはいえ、劇中で三度も死にかけ、ただスーパーマンの足を引っ張ってるだけじゃんと、ちょっとイラッ。![シラー]()
ゾッド将軍役のマイケル・シャノンは存在感抜群。あの濃い顔だけでワル将軍感がちゃんと出てました。支配欲の塊といった極悪人ではなく、惑星クリプトンのために自分の信念を貫き通す男という奥深いキャラとして描かれているのは
です。ゾッドの副官ファオラ=ウル役のアンチュ・トラウェは目ヂカラが大変素晴らしい! 余裕のニヤリ顔だけでもうゾッコン。『スーパーマンⅡ』のアーサを超えちゃいました。
『スーパーマン』では、幼少時代 → 青年時代 → 成人時代と時間軸通りに話が進んでいくけど、本作では現在と過去が行き来する演出で一工夫。でも結果的にエピソードがチグハグになってしまい、この交錯演出もあまり効果的じゃないです。映像もずっとドンヨリしてて陰鬱になりそうなほど暗かったし。グレインのせすぎっ。![むっ]()
過去のシリーズと決別するため、ジョン・ウィリアムスの有名なテーマ曲は封印。じゃそれに代わるような素晴らしいメインテーマがあるのかと言われたらそうでもなく、ハンス・ジマーによるスコアは世間の評判は高いけど、僕は不満です。ダニー・エルフマンの『バットマン』のスコアは神的なクオリティだったのに、ジェームズ・ニュートン・ハワードとハンス・ジマーによる『バットマン ビギンズ』のスコアはほとんど印象に残らなかったように(『ダークナイト』の音楽は好きだけどね)、本作も良い音楽だとは思うけどあまり残らない。なぜなら「耳に残るテーマ曲」がないから。こういうヒーロー映画ってちゃんとした「テーマ曲」がないとまずダメ。しかしジマーは続編『バットマン VS スーパーマン』をやらないと言っているけど、大丈夫?![ショック!]()
リーブ版『スーパーマン』と大きく異なる点は3つあって、まず1つはカル=エルがメガネをかけて三枚目のクラーク・ケントを演じてスーパーマンの正体を隠す描写がほとんどないこと。次にロイス・レインがスーパーマンの正体を知っていること。そして最も大きな違いは、スーパーマン自らの手で敵を殺めていること。これまでどんな敵でもスーパーマンが自分の手を汚して命を奪ったことはなかった。
クリプトン人と地球人の間で揺れ動くカル=エルが自らのジレンマにどう決着をつけるのか、という答えが出ないまま話が終わる。続きは『マン・オブ・スティール2』で、ということになるわけだけど、ご存知のとおり続編は『バットマン VS スーパーマン』となり、さらにワンダーウーマン、グリーン・ランタン、フラッシュまでもが参戦するヒーロー祭り映画になるらしい。ただ、1作目が問題山積みのままで終わっているのに、正直、他のヒーローと競演させてる余裕なんかあるのかという不安もあり、もし続編が『アベンジャーズ』のようなエンタメ・アクションに特化しただけのヒーロー映画にしてしまったら、本当の意味で今回の『マン・オブ・スティール』は失敗作になってしまうでしょう。
つまり、スーパーマンの戦いで被害を被った人間は大勢いるわけで、スーパーマンに敵意をむき出しにする者も少なくないはず。スーパーマンを「よからぬ存在」ととらえる人々の問題をどう解決するかが続編の最大の焦点になるのではないかと思うわけです。続編でも「もし現代にスーパーマンがいたら」というスタンスをとるなら、これは絶対に避けては通れない「問題」なんです。
何だかんだ言いながらも、IMAX3D、通常3D、2Dで3回鑑賞。IMAX3Dの圧倒的臨場感は何物にも代えがたいものだったけど、アクションがハイスピードすぎて3Dを堪能する余裕がなく、通常3Dで再度鑑賞。しかしそれほど3D効果テキメンでもなかったし、それよりも画面の暗さが気になったので最後に2D鑑賞。いずれもクライマックス戦は大スクリーンで観てこそ価値がある、ということだけは実感しました。50インチのTVでBDを観ても全然物足りんす。
凡作『バットマン ビギンズ』が大傑作『ダークナイト』によって評価が若干上がったように、決して成功作とは言い難い『マン・オブ・スティール』の真の評価は、続編で決まるかもしれない。今回の反省点を続編に活かすために2015年7月から2016年5月に公開延期したというのなら、僕はいつまでも待ちますヨ。だって期待してることには違いありませんから。![にひひ]()
『マン・オブ・スティール』 70点
●満足度料金/1200円 ![かお]()
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