
面白い映画には愛を捧げ そうでない映画には鉄槌を下す
たいむぽっかんの
ぶっちゃけCINE TALK!!!
●今日のぶっちゃけなシネ言
「『紙兎ロペ』から生みの親であるウチヤマ監督が手を引いたのがショックだ」
シネトーク163
『オブリビオン』
OBLIVION
監督・原作・脚本:ジョセフ・コシンスキー
出演:トム・クルーズ/オルガ・キュリレンコ/アンドレア・ライズボロー/モーガン・フリーマン/メリッサ・レオ
2013年米/ユニバーサル/124分/シネマスコープサイズ/東宝東和配給(2013年5月31日公開)
●作品解説
『トロン:レガシー』のジョセフ・コシンスキー監督が自身のグラフィック・ノベルをトム・クルーズ主演で映画化。
2077年の地球。未知のエイリアンの襲撃で地球は荒れ果てた星と化し、人類は別の惑星への移住を強いられていた。ヴィクトリアと共に地球の監視任務に就いていたジャックは、ある日、謎の信号を感知。現場に向かうと60年以上前のものと思われる宇宙船内から謎の美女ジュリアが眠るカプセルを発見。彼女は自分の夢の中に現れる女性と瓜二つだった。断片的な記憶をたどるジャックは謎の男ビーチ率いる一味に拘束され、驚愕の事実を聞かされる。
※本作はネタバレなしで鑑賞した方がいいです。ご注意を
数千人のトム・クルーズが人類を殺しまくってるシーンも観たかった
予告編を観て大体こんな感じの映画なんだろうなと、予想したり、イメージしたりするとは思うけど、本作は予告編からの想像とは違ってたSFでした。その反動もあってか賛否がクッキリ分かれてるけど、ボクはかなり好きかも。 大傑作!!!とは言いませんが、少なくともトム・クルーズの3大SF映画(『マイノリティ・リポート』『宇宙戦争』)の中では一番出来がいいと思う。ま、前2作品にも感じられた、前半はすっごい丁寧に描かれているのに後半になると大雑把な展開になっていく・・・・という感じは今回もそうだし、今ひとつまとまりに欠ける作品ではありましたけどね。
ただ、ジョセフ・コシンスキー映画史上最高傑作なのは断言できます、まだ2本目だけど。 映像的にはスゴイことをやってるんだけど肝心のお話が残念だった『トロン:レガシー』に比べたら遥かに面白いし、SF映画としての魅力も断然こっちの方が上。
予告編から受けたイメージでは、「オレサマトム・クルーズは本当に地球を守っているヒーローで、オルガちゃんは宇宙から飛ばされてきたスペース・バンパイアのような美しき異星人で、モーガン・フリーマンは宇宙人のラスボスなのだ!」と思ってて、ボクの貧弱すぎるイメージでそのまま映画化されてたらどうしようもないクズ映画になってるとこでした。
想像してたのとかなり違ってた話だったので、色々と腑に落ちない部分やストーリーを再確認するために1週間に2度鑑賞。それ以上に、久々にSF映画らしい壮麗なビジュアルや世界観が嬉しくなって、近所のMOVIXで一番でっかいスクリーン(17.1m×7.1m)で上映しているうちに体験しておかないと!というのもありましたけどね。
コシンスキー監督がアーヴィッド・ネルソンと共同で執筆し、8年前から温めていたオリジナル・ストーリーで、同時にイメージ・デザインも描き上げ、いつでもスタジオに売り込みができる態勢が整っていたらしい。当初は『トロン:レガシー』でお世話になったディズニーが映画化権を入手したものの、ディズニーが望んだファミリー映画向けのPG指定だとストーリーや設定の改変を余儀なくされるため、権利はディズニーからユニバーサルへと移った。
冒頭、主人公ジャックがどうして地球がこうなったのか、今、自分が置かれている状況をナレーションで解説し、ストーリー、世界観の<基本設定>を観客の頭に叩き込みます。しかし彼が「5年前に過去の記憶を消された」と明かしているので、主人公の話がすべて真実ではないという疑念も抱かせているわけで、案の定、冒頭で語られていたことがすべてウソだったことが物語の中盤で明かされます。 つまりジャックがずっと騙されてきた感覚を観客にも追体験させるわけです。
そもそもファーストカットがエンパイアステート・ビルでのジャックとジュリアの思い出シーンだし、破壊された後の地球しか知らないはずのジャックがヤンキースの帽子を被ってたり(てか、トム映画はヤンキース・ネタはお約束)、スタジアムでスーパーボールの最後の試合を解説したりするという分かりやすいヒントが散りばめられ、勘のいい人はここでジャックに何らかの秘密が隠されていることに気づく。ま、この冒頭のナレーション演出が説明的すぎてSFとしての面白味を若干削いじゃっているのは気になったけど・・・。
ナレーションが一通り終わって、「OBLIVION」のタイトルがでーんっ!と出てくる演出が実にカッコよく、ちゃんと<壮大なSF>感を醸しているので個人的にはもうそれだけでOK。
音楽はフランスのミュージシャン、M83が手掛け、どこかダフトパンクの『トロン:レガシー』っぽいエレクトロチックな作りとハンス・ジマーふうなスコアをミックスして、音楽だけ聴いても満足度高し。あと、冒頭のユニバーサルのロゴにもちょっとしたお遊びがあるのでお見逃しなく。
ぶっちゃけ、根本的なネタバレするとですね・・・(未見の人、要注意!)
・そもそも人類が戦ってきた地球外生命体<スカヴ> は、実はビーチたち<生き残っていた人類>だった
・人類が土星の衛星タイタンに移り住むための仮の住まい<テット>こそがどこからともなくやって来た地球外生命体だった
・地球を2人で監視しているジャックとヴィクトリア(ヴィカ)は、飛来したテットを調査する宇宙船の元クルーだったが、逆にテットに拉致られ、無数の複製人間を作られてしまう(劇中では「クローン」と語られているがこの場合は「複製人間」と言った方が正しい。理由は後述)。オリジナルの2人の消息は不明
・スカヴを抹殺していた(=つまり人間を殺していた)無人偵察機ドローンも人間が作ったものではなく、テットが生み出したもの
・何千体も作られた複製人間ジャックとドローンが人類を抹殺し、テットの<地球上の水源ゴチになります!>大作戦に力を貸してたわけですな
で、テットの調査チームのメンバーの1人であったジュリアは彼の奥さんで、ずっと宇宙を彷徨っていて60年ぶりに地球に呼び戻されてジャックと再会したことから、彼の失われたはずの<記憶>が甦り<自我>に目覚める・・・・というオハナシ。
題材的、設定的、描写的に過去のさまざまなSF映画、『月に囚われた男』『ターミネーター』『2001年宇宙の旅』『トータル・リコール』『スター・ウォーズ』『惑星ソラリス』といった名作から拝借していることは映画ファンならピンときます。似た場面も多いし、「どっかで見た」既視感もハンパない。だからと言って安易なパクリ映画だと切り離してしまうのはちょっと違うと思うんですヨ。
物語の本質は、タイトルの『オブリビオン』=<忘却>の通り、<失われつつある故郷への回帰><呼び起こされる自我><消えかけた愛の復活>にあり、ただの救世主トムの活躍に終始していないところは好評価です。
実はSF映画の形をした、ジャック、ジュリア、ヴィカの三角関係を巡る切ない愛の物語、アイデンティティーを巡る話であるんです。壮大なSFバトル・アクションというより、意外とこじんまりとしたラブ・ストーリーの印象のほうが強く残ったのも、個人的にはでした(コレがダメという人も多いけど)。
いきなり全く同じ自分とご対面して「俺は何者なんだ・・・・」と受け入れがたい真実を突きつけられるジャックは、『シックス・センス』のブルース・ウィリスが自分の正体を知った時の瞬間を思い出させます。
ジャックはクローン人間ならぬ<複製人間>で、彼は全員(と言っても劇中では2人しか出てこなかったが)が同じ行動を取り、ジュリアへの記憶を呼び覚ましているので、完全同一体の<複製人間>であることが分かります。これがクローン人間だとすると、遺伝子的には同じだけど、記憶や性格、身体的特徴はそれぞれの生活や環境によって差異が生じるので、ここではクローンという呼び方は相応しくない。
ここで、本作は観客(特に女性)に最大の問いかけをしてきます。
ずっと出ずっぱりのジャックは49号で、途中で出くわすジャックは52号。49号はトッコウ精神全開でテットを破壊し壮絶死。その3年後、ジュリアの前に姿を満面の笑みを浮かべて現れるジャックが52号。この時、ジュリアには1人の娘がいて、これは恐らく49号との間に出来た子供なわけです。
完全同一体の複製人間とはいえ、愛を確かめ合ったジャックではないジャックをジュリアは愛することができるのか、という問いかけをしたまま映画は終了。
一緒に観たツレに「完全に同じ人間なんだけど、別の個体として存在する恋人を同じように愛することができる?」と尋ねたら、「私には無理かも」と答えてました。ぶっちゃけ、双子のもう一方と付き合うことができるかと言われたら、それは無理、という心境と同じかもしれませんな。とはいえ、ジュリアが愛を交わしたジャック49号も<コピー品>だったわけだけど・・・・。
複製人間とはいえ、自我に目覚め、自分を取り戻した49号に、ジュリアはかつて愛したジャックの<人間性>を見い出したのかもしれません。てか、複製人間も子作りできるのね。
すべてのジャックが完全同一体だとすると、その他の彼も昔の記憶を取り戻し、いずれはテットに反旗を翻していたかもしれない。ビーチたちは49号以外のジャックとも戦っていたけど、いずれも冷徹な殺人マシーンだったため、テット破壊作戦に利用することができなかった。しかし、49号に初めて人間らしい一面を発見し、「これは人類逆転のチャンス!」とばかりに宇宙漂流中だったジュリアを何とか呼び戻し、49号から良心の呵責と自己同一性を引きずり出し、まるでペットのように手なづけ、巧みに利用した。
ラストでジ
ャック49号が「ジュリアを生かして、人類を存続させたい」と<真実>を話してテットの内部に侵入。しかしジャックの<嘘>を見抜けなかったテットは、<自らが作り上げた子供>によって破壊されてしまう。恐らく、他の無数のコピー・ジャックはすべてテットの思いのまま動いていた。だが、記憶と自己性を取り戻した49号だけは、殺戮マシーンではなく<人間>になった。人は愛する者のためなら自分を犠牲にする生き物であることを知らなかったテットは敗北してしまう。地球外生命体が人類の本質=愛を見抜けなかったために敗れてしまうのは、エイリアン侵略映画の醍醐味でもあります。
圧倒的に<切ないキャラ>はヴィカ。
ジュリアが突然現れたことで彼女の不憫さが増すというね。2回目を観た時、ジャックとヴィカがイチャイチャしながら監視任務を続けたり、スッケスケのプールでのラブラブしてるシーンの切なさもより増すし、ジュリアと3人で食卓を囲む場面でも女と女の嫉妬オーラがビンビンだったし。
ジャックが既婚者であることを知りながら思いを寄せていたヴィカは、むしろテットがもたらした<偽りの人生>のほうが女としての幸せを噛みしめていたんだなあ~、としみじみとくるわけです。
しかも49号、52号のジャックに逃げられてしまうという可哀そうな彼女で、いずれすべてのジャックがヴィカの元から去ってしまうのでは、なんて考えてしまうとチョ~~不憫ですわ。本作は実はすごく切ないラブ・ストーリーなんですヨ。ある意味、ジャックはヴィカを<忘却>しているわけですが・・・・。
ヴィカがサリーに「了解、問題ないです。私たちは完璧なチームです」と不自然な笑顔で応答する前半の場面が、後半での涙の失恋シーンに活きてくるわけです。
しかし、3人の中で最も過酷な状況に置かれているのはジュリア。
・60年間も宇宙を漂流し続けていた!(リプリーでさえ57年間だったのに)
・やっと帰って来た地球は死の惑星に!
・しかもダンナはコピー人間!
・その彼が人類抹殺の張本人だった!
いきなりこれらの真実を聞かされたら、頭が混乱して何を信じていいか分からなくなるぐらいパニくるはず。なのに、ここは演出とオルガちゃんの演技に問題があって、その混乱してる様子があまり感じられないんですよね、惜しいことに。彼女はもっと大げさなぐらいに<受け入れがたい真実>感を演技に出すべきだった。そうすればキャラにもっと深みが増したはず。妙にジュリアがアッサリしてたので実は彼女もエイリアンなのでは?と勘繰ったぐらいですから。 あと、エンパイアステート・ビルに向かう場面で、なぜかいきなりタンクトップ姿になるのはただのファンサービス? すっごい不自然なタックトップ姿でした。
ちなみに、ジュリア役にはオリヴィア・ワイルド、ノオミ・ラパス、ケイト・マーラ、メアリー・エリザベス・ウィンステッドらも候補に挙がり、当初はジェシカ・チャステインに決まってたらしいですが、スケジュールの都合で断念したようです。
映像的な部分では、久々にSFらしい荒廃した地球感をちゃんと出し、白、銀、グレイを基調にした映像美で魅せてくれる。実に美しいし、気持ちがいい。
さすが建築学を学んでいた監督だけあって、壮麗な映像や丸みを帯びた宇宙船のデザインなど、見るべきところが多い。荒涼としたアイスランドで撮られた映像は、荒れ果てた地球をイメージさせるには打ってつけのロケ地。そこに半壊した月や巨大な給水プラントが同時に映し出されるだけで、SFとしての世界観の構築は完璧。これだけでテンションが上がりますわ。
ちなみに冒頭でトムが崖っぷちに座っている場面は合成ではなく、ガチで撮影(ココ必見)。極力、合成は抑え、実写多用を目指した監督のこだわりも随所に。例えば、スカイタワーを取り囲む空の景色もブルーバック合成ではなく、湾曲した巨大スクリーンにスタッフがハワイで撮影してきた実景をプロジェクターで投影しているというこだわりよう。
通常のHD映像よりも4倍の画素数を誇る高解像度カメラ、ソニーのCineAltaF65が使われ、その高品位な画質は20m級の巨大スクリーンやIMAXでも効果は絶大。トムの毛穴や目尻までクッキリなんです。 しかも本作は明るいシーンが多いので、余計にその様式美を実感できるというね。当初から<明るいSF>を意識していた監督は、メガネをかけると画面が暗くなってしまう3D映画にはしたくなかったとのこと。
個人的には大変ステキなSFだとは思うけど、SFならではの矛盾点やツッコミポイントがチラホラ出てくるのも否めないわけで・・・。
まず思ったのが・・・・・テットさん、完全にジャックの記憶を消去しとけや!
ジャックの記憶を完全に消さなかったおかげで自分がヤラれちゃったわけですから、これはもうご愁傷様としか言いようがない。そもそもなぜ記憶を消す必要があったのかも疑問で、その昔、何千体もの凶暴ジャックがターミネーターのように殺戮マシーンとして人類を滅ぼしたわけだから、そのまま凶暴ジャックとドローンを使って生き残っている人間を始末すればテットの完全勝利だったのでは。あんな回りくどいことをする理由に今ひとつピンとこない。
ちなみにコピー・ジャックが人類に宣戦布告をする戦闘シーンも映像化してほしかった。だって、何千人のトム・クルーズが人を殺しまくってるんですよ、これは観たいでしょ。
でね、コピー・ジャックが他にどれぐらいいるのか分からないけど、3年かけてジュリアの元を訪れた52号のように、世界中のジャックが彼女のところに集まるんじゃね?と、どうしても思っちゃうよね、あのエンディングからしたらさ。そして、ジャックを追いかけて世界中のコピー・ヴィカもそこに現れて修羅場になるというオチを想像したらなんか笑けてきちゃって・・・・。ぜひ、ジュリアを巡ってトム・クルーズ同士が殺し合う『オブリビオン2』を作っていただきたい。
↓全く同じことを考えていた人が、「エンディングのその後」をアニメ動画で作っているので必見です。すっげー笑えますっ。
演出的に一番気になったのが<行ったり来たり問題>。
ジャックがバブルシップであちこちを行ったり来たりしているので、演出的にものすごくせわしない。4回ぐらいスカイタワーを往復し、全体的に演出が散漫でチグハグしてて、ぶっちゃけ、まとまりがない。ゆえに2時間4分がすっごく長く感じました。前半のもたつき&冗長感も気になったし、もうちょっとシーンや見せ場を整理整頓してスマートな演出で見せてほしかった。コシンスキー監督は映像センスは長けているけど、話運びとしては全然上手くないですねえ。
あとね、戸田っちの字幕も分かりずらい部分か何カ所かあった。このお方の字幕って、言い回しとかをあまり配慮してくれてない翻訳だし、しかも体言止めが多く、会話のニュアンスが今ひとつ伝わってこないんですよ。特にビーチがジュリアの宇宙船を地球に呼び寄せた過程を説明するくだりは本当に分かりずらかった。
世間では、「久々に心酔できる傑作」とベタボメな人もいれば、「劇場を出たらすぐに忘却しちゃう駄作」と叩く人もいて、「可もなく不可もない」という極めて温度の低い評価が目立つけど、個人的にはもっと評価されてもいいと思う。今は評判悪いけど、10年後に再評価されそうなSFかもしれませんな。それこそ『ブレードランナー』のような名作になる可能性も秘めている・・・・・は言い過ぎか。
全部はホメられないけど、SFなんだかアクションなんだかよく分からないごった煮映画や、ファンタジー・アドベンチャーものが占める今の映画界、久々に「これぞSF!」と嬉しくなった秀作でしたヨ。
今週には、やはり壊滅した未来の地球を舞台にしたウィル・スミス父子のトンデモ映画臭プンプンなサバイバル・アドベンチャー『アフター・アース』が公開されるので、比較してみるのも一興かもね。
ココGOOD! SF映画らしい壮麗なビジュアルと映像美/トムのオレさま映画になってないところ/SFアクションというよりラブ・ストーリー/不憫なアンドレア・ライズボロー/宇宙船のデザイン/さまざまなSF映画のイイトコどり/音楽がいい/音響効果
ココBOMB! 冒頭ナレーションが説明的すぎ/さまざまなSF映画の寄せ集め。既視感ノイズ/殺戮者トム・クルーズの人類抹殺シーンを描いていない/矛盾点やアラもチラホラ/行ったり来たり問題/戸田っちの字幕
『オブリビオン』 80点
●満足度料金/1300円